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私のイチオシ、インドネシア銀行博物館 その1

こんにちは、ジャカルタで暮らす会社員のサントソです!
先々週、ファタヒラ広場に関して記事を書きましたが、その近くに私のお気に入りの博物館が有ります。その名は「インドネシア銀行博物館(Museum Bank Indonesia)」です。インドネシア銀行は国営企業で、日本でいう日本銀行(日銀)であり、インドネシアの中央銀行になります。通貨の発行、外国為替管理、金融機関の監督業務を担っています。場所はこちら。

外観はこんな感じです。

インドネシア銀行博物館の外観インドネシア銀行博物館の外観

なぜお気に入りかというと他の博物館に比べて展示物の質が高いからです。この建物自体は1828年に建てられ、実際にインドネシア銀行、当時の呼び名はジャワ銀行(De Javasche Bank N.V.:略称DJB)の建物として使用されていました。その後、2009年7月21日に博物館として開館しました。その為、展示物もそうですが、建物自体も興味深いです。早速中を見てみましょう。

入り口を入って正面に見える階段を上ったところがチケット売り場です。チケットは一人Rp5,000です。日本円だと50円くらいなのでめちゃめちゃ安いです!

チケット売り場チケット売り場
購入したチケット購入したチケット

入館するときは鞄を預ける必要が有りますので、予め財布や携帯電話等貴重品は取り出せるようにしておきましょう。

鞄を預けるカウンター鞄を預けるカウンター

チケットを見せて入館するエリアをビジターセンターと言うのですが、まずそこに展示されている当時使用されていたカウンターに驚かされます。カウンターは壁で仕切られており、カウンターの向こう側とは行き来できないように網で仕切られています。当時、相当犯罪対策をしていたのだなと驚かされます。

網で仕切られたカウンター網で仕切られたカウンター
横を見るとこんな感じ…横を見るとこんな感じ…

中に入ると、いきなりタイムスリップ!大航海時代にオランダが香辛料を求めにインドネシアに来た頃から始まります。世界史の授業で出てきたオランダの東インド会社(Verenigde Oost-Indische Compagnie:略称VOC)が商売を行うにあたってインドネシアでも金融が発達していったようです。

最初の展示エリア最初の展示エリア

こんな船の模型も有りました。この中に香辛料を詰めてオランダとインドネシアとを行き来していたようです。折角インドネシアまで遠出するのだったら香辛料を沢山詰められるように!と思ったのか、結構ごつい形をしています。

当時使用されていた船当時使用されていた船

当時、活躍した人物の肖像画も飾られています。一番左はあの有名なマルコ・ポーロ。。。はて、以前世界史を勉強したときはこんな顔でしたっけ?教科書以外で見ると違った雰囲気です。

当時活躍した人たち当時活躍した人たち

こちらは当時ジャワ銀行として営業していた時の様子です。当時は民間銀行として個人や各産業界を相手に商売をしていたようです。こんな暑い場所でこんな衣装と髪型をしていたのか!?と驚きます。最近は温暖化と言われていますし、当時は過ごしやすかったのでしょうか?

ジャワ銀行の様子ジャワ銀行の様子

こちらはバタビア時代の写真が飾られています。右下には当時のバタビア市庁舎(現ジャカルタ歴史博物館)が写っています。写真が撮られた当時は正面に噴水が無かったのですね。

展示されている昔の写真展示されている昔の写真

こんな展示も有ります。何かと言うと当時インドネシアで地域ごとに発行されていたお金なんです。当時は赤い地域で紙幣が発行されていたのですが、ジャワ島とスマトラ島でしか発行がされていなかったようです。しかし、これだけ種類が有ると管理が大変だっただろうなと思います。因みに当時はお金(ウアン)のことを「uang」ではなく「oeang」と書いていたようです。当時のインドネシア共和国のお金を「ORI (Oeang Republik Indonesia)」と言っていたようで、1946年から使用されたようです。今、ORIと聞くとインドネシアの個人向け国債(Obligasi Ritel Indonesia:略称ORI)が思い浮かびます。インドネシアでの資産運用にと考えていましたが、インドネシア国籍の人しか購入できないようで残念です。すみません、余談でした。

インドネシアの各地域で発行されていたお金インドネシアの各地域で発行されていたお金

こちらはインドネシア銀行の歴代のロゴです。こういうものも展示されているのですね。1950年から今のロゴに近いものになったようです。

歴代のインドネシア中銀ロゴ歴代のインドネシア中銀ロゴ

こちらは紙幣を金庫から取り出している様子です。中国人らしき人も見られます。先程はオランダ人らしき人を見ました。しかし、インドネシア人らしき人の姿が見られません。。。恐らく当時はオランダ人や中国人等ビジネスで活躍する国籍の人が中央で仕切っていたのでしょうね。

当時の金庫前の様子当時の金庫前の様子

さて、次へ行きたいところですが、1つの記事にするとボリュームが大きくなってしまうので今回はここまでにしたいと思います。次回もお楽しみに!Sampai Jumpa(サンパイ ジュンパ=またね)!