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インドネシアのことわざ その2

こんにちは、ジャカルタで暮らす会社員のサントソです!
前回から続いているインドネシアのことわざシリーズ、前回は日本でも同じ意味を持つ若しくは似ていることわざを紹介しましたが、今回はそれ以外で面白いなと思ったことわざ(Peribahasa/プリバハサ)を紹介したいと思います。早速見ていきましょう!

Ada udang di balik batu.
読み方: アダ・ウダン・ディ・バリク・バトゥ
直 訳: 石の裏にエビがいる。
こちらは「何か隠された意図がある」という意味になります。日本でも「エビで鯛を釣る」等エビを使ったことわざは有りますが、隠された石をエビで例えるなんてインドネシアらしいなと思いました。ただ、使う場所に注意が必要だと思いました。海辺とかで言ったりすると「Udangnya ada di mana? (エビはどこにいるの?)」と返されて話が嚙み合わなくなる可能性大です。こちらも前回書いた通りことわざの前に「Seperti ~/スプルティ ~(~ のように)」と加えた方が良さそうですね。

Air beriak tanda tak dalam.
読み方: アイル・ブリアク・タンダ・タッ・ダラム
直 訳: 水が波打つのは水深が深くないということだ。
こちらは「よく話す人はあまり多くの知識を持っていない。」という結構辛辣な意味です。「いやいや、インドネシアにはよく話す人が多いんだが?笑」と思ったのは私だけでしょうか?まぁ、私を含めあまり話さない人でも実際話し出したら大したことないなと思う人もいますしね。何とも言えません。

Datang kelihatan muka, pergi tampak punggung.
読み方: ダタン・クリハタン・ムカ、プルギ・タンパク・プングン
直 訳: 来るときに顔が見えて、去るときは背中が見える。
こちらは「失礼が無いように来るときも去るときもちゃんと挨拶しなさい。」といった感じの意味です。来たときに挨拶をすると顔が見えて、去るときに挨拶したときは相手に背を向けますもんね。確かに、こちらの人って帰るときとか「Saya pamit yaa. /サヤ・パミッ・ヤァ(失礼します。)」って言いますよね。こういうことを大事にしているんでしょうね。

Gajah mati karena gadingnya.
読み方: ガジャ・マティ・カルナ・ガディンニャ
直 訳: 象は牙が理由で死ぬ。
日本で象が出てくることわざって少ないですよね。インドネシアでは私が調べただけでも3つ程出てきて、その一つがこちらです。「秀でた人(若しくは劣った人)はそれが理由で命を落とす」といったことわざです。象が牙を持ってしまったが故に象牙狩りにあって命を落とすことからできた言葉です。例えば、大富豪が自家用ジェットで旅行中に墜落等で命を落としたりすると、お金を持っていることを利用したがため…との意味で言われたりします。無難が一番ということなのですかね?

Lembar batu sembunyi tangan.
読み方: レンパル・バトゥ・スンブニィ・タンガン
直 訳: 石を投げて手を隠す。
恐らく日本語訳から想像できるかもしれませんが、「自分がやったにも関わらず自分がやったと言わない。」という意味です。あー、そういう人いるいる。というか、自分がそんな感じ 笑

Menang jadi arang, kalah jadi abu.
読み方: メナン・ジャディ・アラン、カラ・ジャディ・アブ
直 訳: 勝つと木炭になり、負けると灰になる。
意味は「勝っても負けても苦しむんだぞ。」ということになります。木炭だったら使い道が有るからいいんじゃないか?と一瞬思ってしまいましたが、違うようです。この言葉、今戦争をしている国に教えてあげたいですね。Love and Peace!

Selama hayat masih di kandung badan.
読み方: スラマ・ハヤッ・マシ・ディ・カンドゥン・バダン
直 訳: 体の中に命が宿っている限り。
こちら、インドネシアの独立を祝う歌「17 agustus /トゥジュブラス・アグストゥス (8月17日)」の中に有る程有名なことわざです。今年の独立記念日でもよく聞きましたね!何か大事な重い仕事をやっているとき、成し遂げなければならないものが有ったとき、このことわざを言うとやる気が出たり、士気が上がったりするのではないでしょうか!

以上がインドネシアでよく聞くことわざの紹介でした。この他にもめちゃめちゃあったのですが、あまりぱっとしない感じのは紹介しませんでした。また面白いものが有ったら紹介したいと思います。次回もお楽しみに!Sampai Jumpa(サンパイ ジュンパ=またね)!