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デヴィ夫人が住んでいた博物館?その2

こんにちは、ジャカルタで暮らす会社員のサントソです。
前回から「サトリアマンダラ博物館(Museum Satriamandala)」、通称「戦争博物館」「軍事博物館」について説明しています。今回はその続きです。改めて、場所はこちら。

前回は正面の建物(勝手にA棟と呼んでいます)の裏口から入ってスディルマン大佐、スハルト元大統領の展示を紹介しました。そこから階段を下ると昔使われていた武器が展示されています。武器といってもアメリカなどで使われているような大層な武器ではありませんが、逆によくこれで独立を勝ち取れたなと感心します。インドネシアの広大な領域を限られた武器だけで独立させるのは相当な努力があったのでしょうね…

A棟に並んでいる武器の数々。A棟に並んでいる武器の数々。

お次はジオラマ3と4の展示(勝手にB棟と呼びます)。A棟にも若干のジオラマが展示されていましたが、B棟はほぼジオラマ。当時の様子がよくわかるように展示されていますが、少し寂しい感じがしました。因みにこちらのジオラマはイスマイル・マルズキ(Ismail Marzuki)によって作曲された「Halo, Halo Bandung(ハロ・ハロ・バンドゥン)」の基となった「バンドゥン火の海事件」の様子です。1945年末から1946年初頭にかけ、「バンドンに進軍してきた英蘭軍に街を奪われるくらいなら」と町の人々が自らの手でバンドゥンに火を放ち、その結果、バンドゥン市南部が焼失したというお話しです。切ない…

「バンドゥン火の海事件」のジオラマ「バンドゥン火の海事件」のジオラマ

お次はWaspada Purbawisesa /ワスパダ・プルバウィセサ博物館(略してWP棟としましょう)です。「永遠の警戒博物館」と訳されるようで、1984年のタンジュン・プリオク虐殺事件など、保守的なイスラム教徒グループによる一連の抗議活動が軍事力によって鎮圧されたことを忘れないよう1987年に設けられた博物館になります。何が展示されているかというと…またまたジオラマ!もう、ジオラマ大好きですね!もう少し見方を工夫できないものですかね…しかし、タンジュン・プリオク虐殺事件なんて全く知りませんでした。インドネシアもいろいろと紆余曲折があって今が有るのですね。

WP棟の中はこんな感じ。WP棟の中はこんな感じ。

WP棟から出てきて左横を見ると昔使われていた戦闘機や旅客機を見ることができます。大きくて迫力があります!

大きな飛行機が展示されています!大きな飛行機が展示されています!

さて、全て見終わった後、ドライバーさんに迎えに来てもらう際、注意が必要です。実はこちらの博物館、出口が入り口と正反対の方向に有るのです!WP棟をぐるっと回って出口方向に向かうので、ドラーバーさんにピックアップしてもらう場所はWP棟の前あたり(下のマップの「ピックアップ推奨ポイント」)がスムーズに脱出することができると思います。

こちらがエリアマップ。A,B,WP棟は勝手に名付けたものです。こちらがエリアマップ。A,B,WP棟は勝手に名付けたものです。

以上がサトリアマンダラ博物館の紹介でした。次回もお楽しみに!Sampai jumpa!