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デヴィ夫人が住んでいた博物館?その1

こんにちは、ジャカルタで暮らす会社員のサントソです。
先日、ガトット・スブロト通りにある「サトリアマンダラ博物館(Museum Satriamandala)」へ行ってきました。「Satriamandala」でヒットする日本語が無かったのですが、Satria(サトリア)が騎士、戦士を意味するサンスクリット語由来の単語、Mandala(マンダラ)が領域、聖域を指す言葉です。その為、直訳すると「戦士の領域博物館」になり、インドネシア国軍に関する博物館になります。ガトット・スブロト通りを通るとオフィスビルが並ぶ中で突然戦闘機の見える場所があると思いますが、それがこの博物館で、あそこだけ雰囲気が独特です。日本人の間では「戦争博物館」や「軍事博物館」とも言われ、スカルノ初代大統領の第3夫人であるデヴィ夫人がかつて住んでいた家としても有名です。場所と外観はこちら。

サトリアマンダラ博物館の外観サトリアマンダラ博物館の外観

こちらの建物は1960年代にスカルノ初代大統領がデヴィ夫人のために建てたもので、かつてはデヴィ夫人の亡くなった弟、八曾男の名前から「Wisma Yasoo」と名付けられていました。それが後に接収され、1972年に博物館として開館しています。敷地内にある建物は主に3つで正面にある建物がジオラマ1と2の展示施設(A棟としましょう)、真後ろにある建物がジオラマ3と4の展示施設(こちらはB棟としましょう)、そしてA棟の南東方向にあるWaspada Purbasisesa/ワスパダ・プルバウィセサ博物館(こちらは以後WP棟としましょう)です。

こちらが敷地内のマップ(A、B、WP棟は私が勝手に命名しています)こちらが敷地内のマップ(A、B、WP棟は私が勝手に命名しています)

まずは正面のA棟から見ていくことになりますが、生憎その日は正面玄関がリノベ中だったことから裏口から入ることに…裏口まで行く間に大きな中庭が見えました。まさか、都会の真ん中にこんな中庭を持ったところがあるなんて!…何か、ここだけのどかで、時間が止まったような感じがしました。一体、当時デヴィ夫人はここでどんな生活をしていたのだろうと興味が湧きます!いろいろと想像しながら見て回るのも楽しそうですね。

博物館の中庭。落ち着いた雰囲気…博物館の中庭。落ち着いた雰囲気…

いよいよA棟の中に入ります。この博物館ではインドネシア国軍に関連するのは勿論のこと、インドネシアの独立に大きく貢献した人たちに関する展示もしています。ここは1940年代後半にかけてオランダの再占領に対して結核を患いながらもゲリラ戦を指揮したスディルマン大将に関する展示。当時使用されていた机やベッド、写真が展示されています。現在ジャカルタのメイン通りとされているスディルマン通りは彼の名前から取られたもので、いかに彼の存在が大きかったかがわかりますね!

スディルマン大佐に関する展示。スディルマン大佐に関する展示。

こちらは2代目大統領スハルトに関する展示。スハルト元大統領はかつて90年代に開発独裁でインドネシアを経済発展させたことで有名ですね。彼の胸像を中心に写真がズラーっと並んでいます。

2代目大統領スハルトに関する展示。2代目大統領スハルトに関する展示。

こちらの写真、敬礼するスディルマン大将の右隣にいる方、どなたかわかりますか?そう、若かりし頃のスハルト元大統領です!若い!この青年が後に開発独裁をするなんて誰が想像したでしょうか?

スディルマン大佐と並ぶスハルト元大統領。スディルマン大佐と並ぶスハルト元大統領。

博物館の説明はまだまだ続きますが、今回はここまで。次回もお楽しみに!Sampai jumpa!