こんにちは、ジャカルタで暮らす会社員のサントソです!
さて、約1か月にわたって続いた断食月、ラマダンがもう少しで終わりです。今年は4月10日がIdul Fitri(断食明けの大祭)といわれています。これまで断食をされていた方、本当にお疲れ様でございます。今回はラマダンが終わった後のレバラン(lebaran)について書きたいと思います。
ラマダンが終わるとイスラム教の断食明け大祭、レバランを迎えます。
レバランは苦しい断食をやり通した喜びの祝日で、日本人で例えると正月と盆が一緒になったものとよく言われます。それ程重要なイベントなのです。この時期は都会で働く方が田舎に帰省、ムディック(mudik)するのをよく見かけます。ムディックをした際に先祖の墓にお参りするのがならわしのようで、レバランが正月だけでなく盆も含まれていると言われる所以です。レバラン前後は休日となり、1週間程の連休ができるため、日本人を始めとする外国人も国外に出ることから大移動が起こります。エアチケットも場合によっては早くから予約でいっぱいになってしまうことから、早めにどこへ行くか決め、エアチケットや宿を抑えておく必要が有ります。多くの人が帰省したり、海外に出たりすることからレバラン連休中のジャカルタはかなり静かです。いつも悩まされる渋滞もこの期間は見られません。空いているジャカルタに残るのもいいですが、レバラン期間中、特に大祭当日は空いている店やレストランが限られている為、注意が必要です。
インドネシアにある会社では遅くてもレバランを迎える7日前までに基本的に給料1か月分の手当てを与える必要が有り、これをTunjangan Hari Raya(トゥンジャンガン・ハリ・ラヤ)/大祭手当、略してTHR(テー・ハー・エル)といいます。従業員にとっては有り難い一方、会社にとってはその月の営業日が減るため、売り上げが減り、一方でTHRの支給が有ることからその月の利益はガクンと下がる傾向にあります。
大祭を迎えると、以下のような挨拶を交わします。
Selamat hari raya Idul Fitri. (スラマット・ハリ・ラヤ・イドゥル・フィトゥリ)
=断食明け大祭おめでとう。
Mohon maaf lahir dan batin.(モホン・マアフ・ラヒル・ダン・バティン)
=これまでのあらゆる過ちをお許し下さい。
日本でいう新年の挨拶的なものですね。
レバランを祝うためにクトゥパット(ketupat)という料理が欠かせません。ヤシの葉を編んで米を包み蒸した粽のようなものです。数日間は日持ちします。日本でいうお餅やおせちと似ていますね。おせちで盛り付けられる料理には一つ一つ意味が有りますよね。例えば、黒豆は「まめに働く」という意味があり、勤勉と健康への願いが込められていたり、数の子には子孫繁栄の願いが込められていたり。。。このクトゥパットにもジャワ語(インドネシア・ジャワ島の中央部から東で話されている言語)で「ngaku lepat(間違い、悪さを認める)」と「laku papat(4つの行為)」という2つの意味が込められています。4つの行いとは以下の行為を指します。
Luberan…溢れる、即ち溢れ出たものを困っている人に施しを与えることを指します。
Leburan…溶解という意味ですが、罪を溶かすことを指します。
Lebaran…他人の過ちに対して開かれた慈悲の扉を指します。
Laburan…壁を白いチョーク等で清掃する、即ち罪からの浄化を指します。
どれも似たような単語でこんがらがってしまいそうですが、どれも有難い意味ですね!
こちらがヤシの葉で包まれたままのクトゥパットです。この時期、町中で見かけると思います。
そして、こちらがクトゥパットの断面です。御飯がぎっしり入っています!ほのかにヤシの葉の匂いがして好きです。味は薄めなので何かおかずを用意しなければなりませんね。
また、レバランに関連した行事のうち、ハラル・ビハラル(Halal bi Halal)というものがあります。ハラル・ビハラルは親戚や友人、職場の人同士で集まってお互いを許しあい、握手をする伝統行事です。ただ集まるだけではなく、一緒に飲食を楽しんだり、出し物をしたりして楽しむこともあります。このハラル・ビハラルというのはインドネシアが発祥のようで1940年代の終わりごろに儀式として催され、1950年以降に広まったようです。寛容な国であるインドネシアっぽくていいなと思います。
それでは、次回もお楽しみに!Sampai Jumpa(サンパイ ジュンパ=またね)!